昭和天皇も舌鼓を打たれた
佐賀唯一の老舗料亭の味をご自宅へ
敷地に足を踏み入れると、一気に清涼な空気に包まれる。緑がきらめき、季節の花が柔らかな風に揺れる中、砂利道をゆっくり進むと風格のある広い玄関が出迎えてくれる。 明治15年(1882年)創業以来、佐賀の中心地である佐嘉神社の東で、暖簾をかかげ続けている料亭『楊柳亭』。 かつて近代日本の礎を築いた郷土の大隈重信をはじめ、三条実美、犬養毅など名だたる政治家が料理と空間を堪能したという、佐賀唯一の老舗料亭だ。 今回は伝統を守りつつ、テイクアウト専門店に続き、オンラインショップの開設など、革新の道への歩みについて、菱岡英貴さんに話を伺った。
Q・ここだけ時間が止まっているかのようです。まるで神社のような澄んだ空気が流れていますね。
A・143年前にこの地で、私のおじ(現在の5代目)の高祖父・平川平左衛門が「新川崎屋」という屋号で暖簾をかかげました。今でも佐嘉神社周辺は、明治・大正時代の繁華街としての面影を残していますが、歴史ある建物は老朽化が進む一方で、地元の団体が町並みを保存する運動を熱心に行っています。楊柳亭は当時、たくさんある料亭の一つでしたが、現在、当時から続く店としては県内で一軒のみとなりました。残念ながら、当亭も改築・増築を繰り返し、創業時の建物ではありませんが、当時の趣をできるだけ残すよう努めています。

改築、増築を繰り返すも、その堂々たる店構えは143年前の創業時から変わっていない。 緑あふれる広々とした敷地内では、季節の花や日本庭園が趣を添える。
Q・HPを見て一番驚いたのは、先の戦争が終わってわずか4年後、昭和天皇の全国行幸の際、楊柳亭を訪れていらっしゃることです。
A・創業当時は良い時代で、粋人(すいじん=いきな人)として知られていた初代佐賀県知事が当亭を気に入り、周辺に柳の木が多かったことから楊柳亭という名前を提案され、改名したと聞いています。 館内には、歴史の教科書に載っているような明治の偉人たちによる書や写真等も残っていますし、さぞ、華やかな時代だったのでしょうね。 評判が評判を呼び、昭和24年(1949年)には、昭和天皇の全国行幸の際、佐賀でのご宿泊所に選ばれました。大変名誉なことで、当時、県を挙げて迎え入れの準備をし、県内の大工を集めて増改築を半年かけて行ったと聞いています。 今は食事だけですが、いつか陛下が宿泊された部屋を再現し、宿泊もできるようにしたいとも考えています。

激動の幕末から明治期を駆け抜けた佐賀を代表する政治家であり、書家としても名高い副島種臣や、“明治の三筆”の一人と言われる、元小城藩・家臣、中林梧竹などによる貴重な書が館内に飾られている。

木のぬくもりや畳の香りに癒される空間は、全部で6室あり完全個室。数名から100名まで対応している。美しい伊万里焼の器と行き届いたおもてなしと共に、大切な人と人生の節目を共有することができる。
Q・館内には何気なく、貴重な書や絵画が飾られ、歴史が息づいています。価値はわかりませんが(笑)、肌で別世界というのは感じられます。そして極めつけが陛下のお立ち寄り…。
A・まさに、それこそが“楊柳亭をやめてはいけない”理由です。何としても暖簾を守り続けなければならない、陛下に味わっていただいた料理のクオリティーを保ち続けなければならない、という使命を先人から受け継いできたんです。私自身は当時を知りませんが、町の人に守られてきたんだな、とは強く感じますね。職人たちが先人たちの思いを受け継いで来たように、お客様も祖父から父へ、父から子へというように引き継がれていき、長年にわたり、幅広い年齢層のお客様に、料理と空間を楽しんでいただいています。
Q・伝統を守りつつ、時代に合わせて行くというのは想像できないご苦労があると思います。プレッシャーなどはありませんか。
A・いろんな壁はありますが、苦労と感じたことはありませんね。(笑)
とある日本料理業界の重鎮が「食事しに来るお客様に不幸な状態で来店される方は1人もいない。こんな幸せな職業はない。」といわれていましたが、まさにその通りです。『楊柳亭』のコンセプトは「お客様の人生の節目を演出します」なのですが、こちらは明文化していなくても、創業当時から一切変わっていないんです。人生の節目に特別な空間で美味しい料理を召し上がっていただく、その料理をプロデュースするのが私たち料理人です。こんな素晴らしい職業はないと思っています。例えば労働時間の長さや、コロナ禍などの大きな変化への対応など、一般的な苦労というものはあるかもしれないですが、それは他の仕事も同じではないでしょうか。基本的に私は幸せなお客様に寄り添う料理人というものは、幸せだと思っています。

館内のそこかしこに、季節を感じさせるオブジェが。書や絵画、伊万里焼など歴史ある調度品とともに特別な空間を演出してくれる。7月は七夕をモチーフにした装飾が目を楽しませてくれた。

昭和24年(1949年)、昭和天皇ご巡幸の際のスナップ写真を集めたパネルを見ることができる。当時の興奮が伝わる写真は、いずれも他では見られない、大変貴重なものばかりだ。
Q・菱岡さんはまだ30代前半とお若いですが、なぜ、楊柳亭の料理人になったのでしょうか。
A・実は15歳で料理の道へ入りましたので、歴だけは長いんです。楊柳亭は家族経営で、現在、おじが5代目、総料理長を私の父が務めています。子どもの頃から会席料理を食べていましたから(笑)特に魚が好きで、幼稚園の時は漁師になると豪語していました。いくつかの店で料理人として修行を経た後、海外にも進出している日本料理店や鮮魚店など幅広く事業をしている会社に就職して、経営のノウハウを学びました。それまで調理の世界しか知らなかった、いわゆる“職人”だった若い私にとって、久留米の会社時代は衝撃の経験ばかりで、現在に続く大きな財産となっています。
Q・今回のオンラインショップの開設などの新しい試みも、その影響によるものだったのでしょうか。
A・一度外に出たことで、楊柳亭の偉大さもわかりましたし、欠点というものも見えて来たわけです。久留米の会社時代に学ぶことはとても多かったですが、店を拡大していくにあたり、アルバイトに魚調理を任せたり、既製食品を使ったり、という状況も目の当たりにして、正直戸惑いがありました。子どもの頃から本物の日本料理の世界を見てきたわけですから。自分にとって、“広く浅く”は向いていない、でも料理人が子弟制度の中で、毎日睡眠3時間で腕を上げ、一人前になるまで何十年もかかる、というような日本料理界独特の慣例を続けていいのか、という思いもありました。そこで、原点である実家に戻り、“本物”の中に、新しく学んだことの落とし込みができないかと考え、8年前、25歳で戻りました。
Q・なるほど。それは大きな決断でしたね。今ではInstagramでの情報発信から、あのチャンピオン・サケで有名な『鍋島』の富久千代酒造さんとのコラボレーション、昨年の仕出し(テイクアウト)専門店の出店など新しい挑戦が続いていますね。
A・本格的に動き出したのは、去年からなんです。それまでの数年間は試行錯誤の繰り返しでした。まず、当亭に戻って着手したのはホームページのリニューアルです。8年前といえばもうすでにスマホもあり、SNSも主流でしたが、当亭のホームページは時が止まったまま(笑)。もちろん、ひいきにしてくださるお客様がいらっしゃったわけですが、私は佐賀だけではなく、日本全国、ひいては世界に発信できる店にしたいと思っていました。そこでその受け皿がなくては…とリニューアルに着手しましたが、社長はじめスタッフから「やめてくれ」と言われました(笑)。
Q・それでもやめなかったわけですね(笑)。
A・はい(笑)。いい意味で、当亭は受け身だったんです。黙っていてもお客様はいらっしゃる。今までの時代も、それで乗り切ってきた…でも、ちょっと昨今は違います。特にコロナ禍もあり、時代がかなりスピーディーに動き始めました。そして、多様性の時代と言われ、人の流れも変わり…その中で、既存のお客様だけを守るスタイルを続けていいものかと。もっと、楊柳亭の味をいろんな方に知ってもらいたい、そして若い料理人にもっとチャンスを与えてあげたい。そのためには“感覚”が変わらないとダメだと思ったんです。感覚を変えてもらうためには、自分が率先して動き、実績を作るしかありませんでした。
Q・百数十年も続く老舗ですと、そういったお悩みはよくあることなのでしょうね。
A・これもまた苦労と思ったことがないんですよ。やることは多いですが、原動力は“好きだから”。日本料理って旬を生かした食材を、極力手を加えず、最高の状態でお客様にお出しする料理なんです。小手先の技術は要りません。訓練された職人にしか生み出せない、本物の日本料理を食べるきっかけを、より多くの方々のために作りたい。何より、自分が感動していますから、毎回、楊柳亭の味に。その感動が、限られた人々にしか伝わらないのはもったいない。老舗の常識を打ち破ろうとしているわけじゃなくて、好きなことを追求したいという思いでやっています。
Q・反対はあるものの、菱岡さんの試みを、先輩方が黙って見守っていらっしゃるのも、楊柳亭の懐の大きさを感じます。
A・内心、ハラハラされていると思います(笑)。孤軍奮闘ですが、好きなようにチャレンジさせてもらっていますね。次に始めたのが仕出しです。夜の接待ではなく、昼のランチミーティング用に、3,000円ほどのお弁当を作ったところ、「高級ディナーと変わらない」「夜、時間をとられることがなく、時短になった」とビジネスマンに好評でした。そこで、『佐賀城下栄の国まつり』などのイベントにも出店し、仕出し部門を強化していったんです。楊柳亭では客単価10,000円ほどですが、その3分の1ほどの値段で、ミシュランの星付きの料理が味わえるとあって、クチコミで噂が広がっていきました。
Q・そこで、亭の近くに仕出し(テイクアウト)専門店『美味求心』をオープンさせたのですね。
A・はい。昨年5月、満を持して開店させました。『美味求心』は、当亭からサービス部門を独立させて、若い職人や女性スタッフが活躍しています。今までスポットライトが当たっていなかった人材に、仕事を任せるのも新しい試みでした。正直、ここまでに至る数年間は、がむしゃらに走って来たので、一人革命に近かったんです。もちろん好きがゆえですが、休みもなかったし、常に店のことばかり考えていました。ですから、同じ渦に職人を巻き込むことができなかったんです。今は体制が整い、仲間ができました。渦の中心にいる私や責任者は速いスピードで渦をまわしていますが、中心から遠ざかると渦の流れはゆるやかになります。全員が全員、同じスピードではなく、働き方は各々役割があり、ペースがあっていいと思うようになりましたね。ですが、私が止まったら、すべてが止まってしまうので、常にアンテナを張り、常に動き続けています。

菱岡さんが着ているオリジナルTシャツは、テイクアウト専門店・美味求心(びみきゅうしん)のスタッフユニフォーム。店は楊柳亭から歩いてすぐ、松原神社の東側参道・新馬場通りにあり、目にも美しい本格和惣菜が並ぶ。
Q・働き方改革も手がけてらっしゃるのですね。そして、今回、オンラインショップ『楊柳亭 THE GIFT』がオープンしました。
A・名前にある通り、“もらってうれしいギフト”がコンセプトです。大切な人への手土産に奮発して、美味しいものを贈りたい。そんな気持ちを込めています。まず、間違いないですからね。贈り手にとっては、“ドヤ顔”で持って行けるギフトというところがポイントです(笑)。もちろん、ご自宅用にもどうぞ。
Q・どんどん、楊柳亭さんの輪が広がっていきますね。今まで料亭は敷居が高いと思っていた私たちにもチャンスがまわってきました。
A・実際に、足を運んでいただくイベントも企画しています。
8月には『THE NIGHT BANQUET~夜宴~』というイベントで、ビュッフェスタイルの日本料理をはじめ、浴衣を着て撮影会、ピアノの生演奏やマジックショーを行います。チケットは5,000円とリーズナブルですので、ぜひ、いらっしゃってください。
Q・それは日本料理を知るいい入口になりますし、この素晴らしい空間に触れるチャンスになりますね。
A・無形文化遺産でもある日本料理を媒介として何ができるか、が私、そして楊柳亭の今後の課題です。日本料理は文化ですから、食べる人がいないと、文化が衰退してしまう。
作り手と食べ手が同じ位置にいることが、ベストだと思っています。個人的には料理人の顔が見える仕掛けをしていきたいですね。楊柳亭では、町の人に支えられ、食と空間を提供してきました。そこに今後は、プラス創造が必要です。インバウンドも復活し、今、都会から田舎に「本当に美味しい食を求めて」やって来る外国人観光客も増えて来ました。そのニーズに対応できる、新たな試みも行っていきたいです。
Q・伝統を守りながら、革新を続けていく姿勢に感銘を受けました! 応援しています。
A・ありがとうございます。いろいろなことにチャレンジしますので、期待していてください。とにかく、食が好き、日本料理が好き、の一心でやっています。当亭のコンセプト「お客様の人生の節目を演出します」のもと、“変わらない為に変わり続ける”、をモットーに、佐賀から世界へ、日本料理を通じて喜びと文化を発信し続けていきます!
【Instagram】
■佐賀 日本料理 料亭 楊柳亭
https://www.instagram.com/yoryutei/?hl=ja
■料亭の贈り物と本格和惣菜専門店 楊柳亭 美味求心
https://www.instagram.com/yoryutei_bimikyushin

『佐賀牛ローストビーフ』 や『銀鱈の味噌柚庵焼き』 など、肉・魚料理は職人のこだわりの味を閉じ込めたままの真空パックで届けられる。調理も簡単でHPで動画も掲載中だ。

菱岡さんが「これは唯一無二の絶品です!」というイチオシは何とスイーツの『焼き芋ちぃずけ恵き』。 「ドヤ顔でギフトに持って行けます(笑)」と太鼓判を押す。『黒豆ちぃずけ恵き』も。

実際に料亭で使用している、オリジナルのだしパック『楊柳亭 鰹だし』、 『料亭の万能醤油』はリーズナブルな価格で、食事帰りに買って行く人も多いそうだ。
